東北の鈴木さん発祥の地?!鈴木家住宅をVRで体験


美少女イラストとコラボして事で有名な鈴木家住宅です、
はじめて行きましたが囲炉裏が現役だったり昔懐かしい物が沢山あって楽しかったです!
エンシコや土間、矢口高雄先生の自伝漫画でしかみたことない農機具など見所満載でした!

鈴木家住宅・染付蔵とは?施設の概要と展示施設を紹介

鈴木家は東北「鈴木姓」発祥の家。

46代続くこの名家の住宅は、秋田県最古の民家として土蔵(染付蔵)と共に国定指定重要文化財に指定されています。

現在も所有者家族が居住している全国でも大変めずらしい文化財で、800年以上の歴史を有しながらも今なお暮らしが息づく生きた文化財を見学・宿泊することができます。

そんな鈴木家住宅・染付蔵の施設の概要と展示施設を紹介していきます。

鈴木家の歴史

鈴木家の先祖・鈴木三郎重家の生国は紀州藤代(現在の和歌山県海南市)。全国におよそ200万人いる「鈴木さん」のはじまりが、この和歌山県海南市にある「鈴木屋敷」とされています。

東北の地に「鈴木姓」が伝わったのは、先祖・鈴木三郎重家がやって来たことが由来です。

文治2年(1186)、鈴木三郎重家は源義経の家臣として「源平合戦」における最後の戦い「壇ノ浦の戦い」に参加し武勲を立てるも、義経の兄・源頼朝に追われ平泉に逃れます。

歌舞伎で特に人気の高い演目のひとつ「勧進帳」で演じられているのは、このときの様子です。

逃れついた平泉で1~2年ほど過ごすも、義経に協力的だった藤原秀衝が亡くなった後、その子泰衡が頼朝に寝返り、大軍を率いて義経を襲撃。

義経は鈴木三郎重家を呼び、「汝は紀州藤白に父と妻子あり。立ち帰って孝養をつくせ。我は、汝の弟、亀井六郎重清を連れて蝦夷に落ちる。」との厳命を下し、鈴木三郎重家は主命に従い平泉を去ったと言われています。

義経戦死後、鈴木三郎重家は落ち武者となり、伊沢(現在の居住地、飯沢)に住みついて農業に従事。文治5年(1189)、名を杢助(モクスケ)と改め、現在の鈴木家を居住に定めました。

江戸時代になると鈴木家は代々肝煎役をつとめ、文政12年(1829)佐竹藩主より苗字帯刀が許され、飯沢の大半を占める大地主となります。

茅葺屋根の主屋は江戸時代前期(1650〜1700)の建物で、秋田県では最も古い民家として、昭和48年(1973)国指定重要文化財に指定。

主屋に隣接している土蔵は、大正4年(1915)に建築。土蔵内部の材料・施工が良好で建築当時の資料も残っていることから、平成6年(1994)に宅地、山林、古文書があわせて国指定重要文化財に指定されました。

鈴木家の建物を紹介

鈴木家の建物は、秋田県雄勝郡羽後町にある大きな茅葺屋根の民家で、代々の住居として今も使用されています。

主屋が建てられたのは17世紀後半の江戸時代、秋田県では最も古い住宅といわれており、農家というより中世豪族の住宅のようだと評されます。

建物は「中門造り」と呼ばれ、主屋(本屋)に馬屋部分(中門)が取り付けられ、L字型の平面を構造しています。

中門には馬屋のほか、出入口や仕事場、トイレなどが設置され、これは冬の間でも家の中で仕事や馬の世話などができるようにと造られたものです。

土蔵(染付蔵)は大正4年(1915)に建てられました。

工事に際して、大工や左官などと取り交わした契約書が残っており、当時の工事費用や工事形態を知ることができます。

蔵内部には、古伊万里染付けや浮世絵、民芸品などが多数展示され、江戸時代の陶磁器や、江戸初期から明治初期まで制作された「猪口」など、約1,000種類を見学することができます。

鈴木家の建物は、江戸時代に建てられた当時の農家の暮らしを現在に伝えてくれる古民家です。

鈴木家へのアクセス方法

電車の場合、JR奥羽本線の湯沢駅下車から車で約25分。車の場合は横手湯沢道路 湯沢I.Cより約30分の距離です。

なお鈴木家は、日本初の国指定重要文化財 民家の民泊施設です。

1日1組最大7人まで宿泊可能で、食事提供およびお風呂の使用はできませんが、近隣の温泉施設までの無料送迎があります。

また、所有者が居住しており不在の場合があるため、見学のみ希望の際でも事前連絡が必要です。

公式サイト

国指定重要文化財 鈴木家住宅・染付蔵 - トップページ

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